佐藤 和弘

Mar 144 min

組織変革における「ヨソ者」のメリット編

「僕は、ノンテクニカルスキルを教えることができることではなく、「ヨソ者」ということ自体に本質的な価値があるんです」

よく、このようなことを伝えます。もちろん、ただのヨソ者では説得力がないので、僕の場合はノンテクニカルスキルという観点でヨソ者としての説得力を高めているのですが、あらためて、一般的な観点において、組織変革で二人三脚を行うヨソ者という存在のメリットと注意点について整理してみます。この投稿では、まずはメリットについて。

【ヨソ者という存在のメリット】

①ムラ(自組織)の空気に従う必要がない

たとえ組織のリーダーであっても生活をともにする同じ住民には変わりがないので、そのムラの非公式の掟である空気に従わざるを得ない場合は少なからずあるでしょう。ましてや、毎日のように長い時間同じ空間のなかで生活する住民同士であれば、関係性が「出来すぎている」がゆえに、相手に(言いたくても)言えないことがあるはずです。

「本音ではこう思ってるけど、これを言っちゃうと◯◯さんとの関係性が悪くなってしまう。たとえその時は良かったとしても、明日も明後日も◯◯さんと一緒に仕事をするんだから、こんなこと言えるはずがない・・・」

もし、住民全員がこのように考えていれば、「皆まで言わない空気」が醸成され、その醸成された空気に従って住民全員がさらにこのように考えるといった「空気の濃縮作業」が、不作為的に行われてしまいかねません。

このことに対して、ヨソ者はそのムラで生活しているわけではありませんから、非公式の掟に従う必要はありません。たとえそのムラで「あの人ってKYだよね」と思われても、自分のムラに帰れば生活には困りません。あくまでも日常の生活は自分のムラで過ごしますから、毎日そのムラの住民と顔を合わせるわけではありません。

であれば、そのムラのリーダーからすれば、同じ住民である自分では、関係性が出来すぎているがゆえに言いたくても言えないことや伝わらないことを、ヨソ者に行ってもらえばいい。このように、そもそもヨソ者だからこそ空気に従う必要がないというのは、組織変革の観点において非常に強力なパワーだと言えます。

②都合が悪くなったらヨソ者のせいにできる

住民同士で「◯◯さんのせい」といったように、人のせいにすることは、基本的に避けたほうがよいでしょう。たとえそれがいわゆる正論、合理的には正しくても、論破された相手は「情理的なしこり」をのこし、それによって、その後の長く続く共同生活の中でさまざまな揉め事が起こりかねないからです。

そのうえで大事なことは、「誰かのせい」ではなく「空気のせい」にすることです。空気は人がつくりますが、人ではありません。空気のせいにしても、空気自体が怒って仕返しをすることはありません。住民全員がつくったものであるのにも関わらず、どの住民のことも直接指しているわけではないので、住民にとってみれば、「私のことではないよね。ウチの部署の空気のことだよね」と思えます。自分に白羽の矢を向けられなければ、自分を守るために反撃や抵抗をする必要はありません。

一方で、「誰かのせい」にしてもいい人物がいるとすれば、それはヨソ者です。前述のように、ヨソ者はそのムラで生活をともにしているわけではないからです。だからこそ、リーダーからすれば、自分の言いたくても言えないことをヨソ者に言ってもらい、それによって組織変革を行ううえで何か都合が悪くなったら、

「いや、これは私ではなく◯◯先生(ヨソ者)が言ってたことですから」

と、ヨソ者のせいにして自分を守ればいい。もちろん、ヨソ者自身にそのような考え方があればですが(でないと、いきなり自分のせいにされるとビックリするでしょう)。

③伴走者を変更しやすい

組織と人には「相性」というものがあり、それは住民はもちろんですが(だからこそ採用のマネジメントは非常に重要)、これはヨソ者にも当てはまります。そして、ここでもやはり重要になるのが「関係性」です。ヨソ者は、そのムラや住民との関係性が出来すぎていないがゆえに、合理的に別のヨソ者に変わってもらったとしても、住民に情理的な影響を与えにくいでしょう。

時代も環境も変わり続け、待ってはくれません。ただでさえ10年単位で考えるべき組織変革を行うために、二人三脚すべきヨソ者という伴走者は、巡り合わせ。いつ出合えるかは偶然だとしても、いやだからこそ、さまざまなヨソ者と出合いを繰り返し、そのムラに最適な伴走者を見つけることが大切なのだと思います。