いつも空気のマネジメントの文脈で取り上げるエスカレーター問題。エスカレーターは「両側立ち止まる」「歩かない」というのが公式の掟(ルール)であるにも関わらず、片側を(歩く人のために)開けなければならないという非公式の掟(空気)が支配しているがゆえに、公式の掟を守っている人の方が、後ろから歩いてくる人に急かされたり、嫌な顔をされたりと、肩身の狭い思いをするといったことが起こってしまいかねません。
組織というムラ社会も同様に、時に(いや往々にして)公式の掟よりも非公式の掟が優先されるといったことが起こります。おそらく、公式の掟とは「べき論」を反映していて、確かに合理的には正しいのだろうけれど、「現実(情理的に)はそんな綺麗事だけではやってられませんよ」といったように、「現実論」を反映している非公式の掟のパワーに押し負けてしまうのでしょう。
エスカレーター問題に戻ると、よく電車から降りた後に一番始めにエスカレーターの歩く側に立ち止まり、後ろの人たちがどちらに立ち止まるのかを観察するというプチ社会実験をしたりしますが、大抵自分の後ろ(歩く側)に立ち止まる人はおらず、反対側に立ち止まることがほとんどです。
組織変革においても、ファーストペンギンだけだと特別視されて孤立してしまいかねないので、後に続くセカンドペンギン、サードペンギンを担うスタッフの存在が大切になりますが、混雑しているエスカレーターを見るとわかるように、両側に立ち止まって行列ができている場合もあります。両側に立ち止まって行列ができているエスカレーターに乗る人の立場から見れば、いくら自分が本当は歩いて進みたいと思ったとしても、エスカレーターの群衆をかき分けて進んだりはまずしないはずです。これは、言い換えれば、公式の掟に順応したということになります。
考えてみれば、本来、公式の掟にはパワーがありますから、その公式の掟のパワーによって人や組織を動かせるはずです。ただし、それには「公式の掟に順応せざるを得ない状況」、言い換えれば「非公式の掟に従えない状況」をつくるという条件がある。このように考えることができるのです。
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