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​人は本来弱い生き物である

時に、自分の意見と正反対のことであっても、それをせざるを得ない状況まで人を陥れてしまう空気の支配の恐ろしさ。そのような空気に支配された組織の中にいる人(スタッフ)に向き合うために押さえておくべきことは、「人は本来弱い生き物である」ととらえておくことです。

​合理の世界と情理の世界

あるスタッフがムラ(自組織)の公式の掟(制度やルール)に従わなかったとします。本来ならば、そのムラで生活する以上は公式の掟に従うことは合理的であることは明白でありながら、なぜそのような行動を取ってしまうのでしょうか。それは、そこにそのような行動を取らざるを得ない何かがあるからです。それが組織の空気です。

 

私は、ある人が組織の空気に支配されているかどうかを判断する一つの手がかりが、「そうせざるを得なかった」「やらざるを得なかった」「言わざるを得なかった」といったような言葉を発することだと考えていますが、では、なぜそのような言葉を発してしまうのか。それは、本人(個人)の努力不足でも能力不足でも意欲不足でもなく、「人は本来弱い生き物である」からだととらえることが大切です。

 

逆に言えば、「人は本来弱い生き物である」からこそ、正しいことができない、間違っているとわかっているのにやらざるを得ない状況を、本人の努力不足や能力不足、意欲不足のせいにしてしまっても、本人のためにも組織のためにもならないということです。にも関わらず、そうしてしまっている組織はないでしょうか。もちろん、それは不作為でしょうが、不作為だからこそ、気づきにくいことなのかもしれません。

​医療は命に関わる以上、「合理(正しさ)の世界」を追求していくことは、これまでも、これからも重要です。しかし、あくまでも人間にさまざまな感情があるのであれば、人間の感情も踏まえた合理の世界を追求していくことが求められるのではないでしょうか。それを、私は「情理の世界」ととらえています。したがって、医療現場で人を動かすリーダーシップやマネジメントも、情理に基づくものあることが大切になるのです。

この情理に基づくうえでは、情(感情)と理(合理)のバランスに注目することがポイントです。ある時と場合と人においては合理を優先すべき場合もあれば、ある時と場合と人においては、あえて感情を優先したほうが、急がば回れで合理を実現できるかもしれません。このことを踏まえたうえで、私は、医療における情理のリーダーシップやマネジメントは、基本的にはやはり合理を軸として感情をとらえることが大切だと考えています。

​テクニカルスキルはあくまでも合理の世界を追求する。ただ、そのテクニカルスキルを患者さんに届けるノンテクニカルスキルは情理の世界を追求するということなのかもしれません。

ノンテクニカルスキルは情理の世界を追求する

​非合理性の中の合理性

一方で、「どうしてあの人は皆と違うことをしてるんだろう・・・」「今はこの業務をすべきなのに、なぜその業務をやってるんだろう・・・」といったように思ってしまうスタッフを見かけることがあるのではないでしょうか。このような場合に大事なことは、「他者からは一見非合理的に見えるが、本人にとっては合理的な理由」を把握することです。これを「非合理性の中の合理性」と呼んでいます。

 

ここまでの「合理」という言葉が医療全体、組織全体の視点を前提とするのだとすると、本人にとっての合理性というのは個人の視点を前提としています。例えば、業務のやり方を大きく変えようとした際、従来のやり方に長年強いこだわりを持っていたスタッフからすると、業務のやり方を変えるということは、これまでの自分の努力や想いをないがしろにされたと感じて、業務のやり方を変えることに反対することは、本人にとっては合理的です。であれば、そのスタッフのこだわりを新たな業務でも生かせることを示すことができれば、変わることへの抵抗感が少なくなるかもしれません。

つまり、本人にとっての合理性を考えるということは、まさに情理を考えることなのです。

非合理性の中の合理性
組織の2-6-2の法則

© 2013 by Kazuhiro Sato

 

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