• 佐藤 和弘

有事標準のリーダーシップ

長い平時の年月の中で、組織の1人ひとりを想い「優しい人」を真剣に演じてきたリーダーにとって、有事のリーダーシップを求められることは、過酷で辛いことである。

有事のリーダーシップは、いかに正しい事実(情報)をもとにした合理的な意思決定を行うかが極めて重要だ。しかし、それは往々にして組織の中に光と陰を生む厳しい意思決定となるため、他者にとってみれば「血も涙もない」と思われかねない(本当はそうではないのだが)。

だが、そのような「他者からの目」だけでなく、もう1つの目がある。それは「過去の自分からの目」だ。これまで平時で演じてきた「優しい人」と、有事の今演じなければならない「厳しい人」の折り合いを自分自身でつけることは、簡単にできるものではない。それは、ともすれば過去の自分の否定につながってしまうからだ(これも本当はそうではないのだが、自分ではそう感じてしまう)。

このように、有事のリーダーシップが難しいのは、合理的な意思決定を「他者の情理」が拒むだけではなく、「過去の自分の情理」が拒むからである。「あれだけずっと『皆を思いやることが大事だ!』と言い続けていた自分が、多くの人たちにとっては良くても、◯◯さんと◯◯さんにとっては辛い結果となる、そんな決断を伝えることはできない・・・」といった自己否定の葛藤が、平時から有事に変わった際に難所となるリーダーのジレンマである。

繰り返しになるが、有事のリーダーシップは、正しい事実にもとづく合理的な意思決定が求められる。そしてそれには、いかに平時から合理的な意思決定力を鍛えておくかが重要である。だが、有事の合理的な意思決定を拒むのが、過去の自分の情理であるならば、これも平時から有事を想定して自らの情理をマネジメントしていかなくてはならない。

平時では、組織の仕組み(人材マネジメント)をつくっておけば、極論リーダーシップを発揮しなくても現場はなんとかなる。だが、有事のような不確実性の高い状況においては、平時用につくられた仕組みが機能するのは限定的で、その場その場でのリーダーシップを発揮していかなければならない。

このことを考えると、大事なことは「有事標準のリーダーシップ」、つまり平時のうちから有事を前提にしたリーダーシップを考え続け準備しておくかである。たとえ、それが他者からするとオオカミ少年と思われても。

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