世間ではとかく「正論」という言葉が否定的な意味合いで使われがちです。
「それって正論だよね」
「正論なんて聞きたくありません」
これは、あらためて考えてみると、「正しい論理なのに間違っている」といっているようなものですから、一見矛盾する意見のように見えます。ただ、突き詰めてみると、ここで言われている正論というのは本当の意味での正論ではなくて、「合理」的には正しくても「情理」的には正しくないという意味とも受け取ることができます。
そして、このことからも見えてくるのが、「合理の使い方」です。
もちろん、本来ならば組織全体として合理的な判断を基に行動を取るべきですが、人間が感情を持つ生き物である以上、
合理≠(人間社会における)本当の意味での正論
であるということは、現実世界の問題解決の難しさを表しています。したがって、人間社会における本当の意味での正論は、理だけでなく情もふまえたものとして考えておくことが大切になります。
さらに言えば、では合理をそのものとして他者に向けることが適切でないとすれば、誰に向けて合理を使うべきかと言えば、それは自分自身という答えになるでしょう。
人は本来弱い生き物ととらえると、それはもちろん自分自身も例外ではありませんから、自分の判断に自信を持てない状況に陥ることは当然あるはずです。そのような、自分の感情に自分自身が負けそうになる場面において、それとは切り離された合理を拠り所とする。
このように考えると、「人間社会において、合理は他者ではなく自分自身に向ける」ということも、一つの考え方であると言えます。
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